むかしのはなし

ニ児の父。のらりくらりと生きてます。

19960318

僕の最古の記憶について。

ブログのタイトルについて、記憶のあるうちに

むかしのはなし を書き溜めていく。

いつか娘に読んでもらえたらいいな。

 

4 歳だった。

当時、大きな神社の近くに住んでいた。

家から神社までは一本道で行けたけど、道の途中に当時の親友のSくん家や幼馴染のMちゃん家にばかり行っていた。

神社は縁日か、たまにお母さんと散歩がてらお参りに行っていた。

 

幼稚園や保育園には入っていなかったので、

同じように通っていなかったSくんと近くの田んぼや公園で遊んでいた。

 

Mちゃんの家は、

あんま屋さんを自営業で営んでいた。

15時になるとMちゃんの家に遊びに行った。

お客さんで来るおじいちゃんやおばあちゃんからお菓子を貰いに行っていた。

子どものころからの純粋な「がめつさ」が今も染み付いている。

 

この日は春めいた日で近くの公園の桜が咲いていた。

ブラウン管テレビの横に置いていた日めくりカレンダーを捲るのはいつもお姉ちゃんの担当だった。

この日だけ、捲られず幼稚園に行ってしまったお姉ちゃんの代わりにカレンダーを破いたことを今も覚えている。

 

些細な喜びだったけど、今も鮮明に覚えているその感覚に27年経った今も不思議に思っている。

 

それだけの話。続きはまた今度。

特異点

それっぽいタイトル。

tacicaのアルバムsingularityから。

 

前回、思いを置いとくと楽になると考えていたら、

本当に楽になったので連発で。

 

前回の特異点は転職だったので今回は30歳。

あっという間に31歳になった。

 

代謝が落ちるからとかなんとか言われるけど、

単純に色んな刺激に慣れすぎて、

記憶に残ることが少なくなった。

 

一方で、子どもたちがスクスク育っていて

教えてもない言葉を話すようになるのは面白い。

出不精な自分も子供に連れられて

色んなところに行くようになった。

彼女たちと同じ世界を見て考えられるのは、

楽しいし、ありがたい。

 

学生のころ、教授に言われた

「技術者としての一つの閾値は35歳」

の言葉に焦りを感じている。

 

日々淡々と仕事を熟している。

それだけでは、どの時点からかわからないけど、

何かに置いて行かれてる気がしてしまう。

 

日々が特異点

そう思って、

昨日と違うことをひとつずつ積み重ねていこう。

そう思って今日も寝転ぶ。

 

デッドエンド

デッドエンド

 

綴りすりずり

タイトルは適当。

 

最近また落ち込みがちなので、色々と悶々と考えていることを書き出す。

書き出すと一旦頭の中から無くしても良いから、少しだけ楽になる。

 

2回目の転職をして1年と少し経った。

時代も相俟って前みたいに奇異な目で見られることも少なくなった。気がする。

歳をとって鈍くなったのか、余計なことを考えなくなったのか。そう言うのもあると思う。

 

仕事に関しては相変わらず忙しいけど、仕事では初めて人間関係とかで嫌だなあと思うことが多い。

無責任な60代、喧嘩をする50代同士、我関せずの40代、振り回される30代と僕。

 

やってることは単純で。答えが曖昧、方針も模糊。

何故か給料だけ高い。

結局やる人に仕事は集まって、自分が背負うのは同じまま。

 

嫌じゃないけど、

嫌じゃないって思っている自分が嫌になる。

そんな中二病みたいな状況。

 

我慢とか割り切りとかも、もう少ししたら出来るようになるのかな。

でもそれはそれで、相手の都合の良いようになるだけだから、それは避けたい。

 

相変わらず音楽は救いで。

そばに居てくれる。

 

 

初恋

20年に渡る初恋が終わった。

 

小学3年生で同じクラスになって以来、彼女のことをずっと好きだった。

所謂マドンナというやつだったと思う。

彼女が「朝の会」で紹介した文庫本のシリーズは、次の日にはクラスの男子に借りられて全て無くなっていた。

意地悪をして、泣かせてしまったこともある。その時ほど後悔で胸が苦しくなった。

 

彼女は5年生で転校していった。

引っ越しの日、今は名前も覚えていない友だちの家に遊びに行って、寂しさを紛らせようとしたが、さよならを言わなかった後悔に苛まれたのは言うまでもない。

 

中学1年生のころ、同級生の女子が彼女と文通している話を聞いた。

自分も手紙を送ろうと、住所を聞いたが恥ずかしくて書いた手紙も便箋も直ぐに捨ててしまった。

 

中学3年生、卒業前に買ってもらった携帯電話。文通をしていた女子から彼女のメールアドレスを聞いた。

短い文章と絵文字が語ってくるたびにたまらなく嬉しくなった。

 

高校2年の頃、5年ぶりくらいに電話で声を聞いた。興奮と緊張で胸が張り裂けそうだった。

彼女の声は変わらず、優しく、泣きそうなくらい可愛かった。

それからも、時間が合う時はメールや電話でやり取りをしていた。

 

大学に入り、僕は県外の大学に進んだ。彼女の住む街に少し近づいたが、それでもずっと遠いままだった。

1年生の夏休みに入り、彼女が地元に遊びに来ることを聞いた。

小学校の同級生を集めてもてなしたいと考えた。

みんなで集まって町内会の公民館で缶チューハイを飲んだ。

今考えると、あれが青春絶頂期だと思う。

 

それからしばらくは連絡を取る頻度は減ったけれど、SNSでその時々の近況を確認していた。

 

僕は大学院に進み、彼女は就職で東京の企業に就職した。

この時点で5年会っていなかった。

そして、学会で東京に行くタイミングで彼女とカフェに行った。

すごく大人になった彼女を見て、やっぱり綺麗だなあと思うと同時に、どうしようも無くこの人のことが好きなのだと想った。

 

そこからまた5年。

共通の友人の結婚式にて、彼女と再開した。

僕は結婚して、子どもにも恵まれた。

きっとまた彼女に会えば少しの間だけでも、浮つくかと思っていた。

 

ただ綺麗な人としか思えなかった。

たしかに可愛いし、ずっと好きだった人であることは変わりない。

ただ、昔ほど情熱を感じなかった。

 

嗚呼、僕の初恋は終わったのだと気がついた。

20年に渡る僕の片想いは、やっと終わった。

 

Fairytale,

9月

仕事の内容が本格的にわかり始めた。

一方で、自由が効かずもどかしさを感じることが多い。

前職と比較して、リソースが少ないことに焦りを覚えることと併せて、上司の性格が絶望的に自分と合わないと感じた。

人と人である以上、合う合わないは一生つきまとう問題だと思う。

しかし、そこを割り切るには時間がかかる。

一方の正しさは、他方からすれば悪なのだと誰かが言っていた。

そんな言葉が過るくらいくらいには、精神的余裕はあるのかもしれない。

 

自分の中での面白さ、興味の有り無しを早めに見つけてそこに執着できるようになろう。

 

そう思うしかない。

live in dead

8月。

 

新しい職場での仕事が始まった。

 

自分に期待されいてたことは、前の職場と変わらなかった。

好きだった歌に、「自分を変えることでしか周りは変えられない」という歌詞があるのを思い返していた。

確かに、今回の決断はこの「自分」を変えるより強制的に「周り」を変えたに過ぎないのだから、結果は停滞のままで間違えてはないのだと思う。

 

仕事中の他人からの視線に居心地の悪さを感じつつも1週間もすれば慣れたことと、それ以前に忙しさはさほど変わらないことに気が付いた。

昔、恩師に言われたことで、「35歳までは動き続けたほうがいい。それ以降はほとんど伸び代がなくなってしまうから」と念を押された。

何事もスロースターターな自分が、今回の転職で得たものは何だったのかをもう一度考え直す必要がありそうだ。

 

 

いろんなことを考えながら、古いプレイリストを漁っている。

懐かしい曲を聴いて居ると、当時奮起して行動できた自分を思い出す。

一方で、そんな浅い思い出に足を取られていつの間にか抜け出せなくなっている気にもなる。

どうせ自分の轍は帰路には成り得ないから、今は前だけを見て行こう。

群青

7月。

 

会社を辞めて1ヶ月の有給消化に入った。

有給消化と言っても、やることはいつもの休日よりもあり、引っ越しの準備や各種手続きなど割と忙しくしていた。

辞めた職場が激務だったこともあり、家にいる時間が長くなると少し退屈することもあるかと思っていたが、案外それは解消された。

 

特に娘といる時間が増えたことによってそれはなおさら感じなかった。

 

 

出会いは多く、さよならが少なかったこの数年間で、久しぶりに沢山のさよならを受け取った。

多くの人はもう合うことはないだろう。会おうとしなければの場合。

いつか、きっと、どこかで。なんて曖昧な言葉をみんな言うけれど、そんなことは日常に塗れてすぐになくなってしまう。

そんな当たり前を言葉にするむず痒さすら今は必要だと感じていた。